2010年2月 1日
チンギス・カン、諸部族の統一
メルキトによる襲撃の後、ジャムカの助けを得て勢力を盛り返したテムジンは、次第にモンゴル部の中で一目置かれる有力者となっていった。テムジンは振る舞いが寛大で、遊牧民にとって優れた指導者と目されるようになり、かつて父に仕えていた戦士や、ジャムカやタイチウト氏のもとに身を寄せていた遊牧民が、次々にテムジンのもとに投ずるようになった。テムジンはこうした人々を僚友や隷民に加え勢力を拡大するが、それとともにジャムカとの関係は冷え込んでいった。
あるとき、ジャムカの一族がテムジンの配下の家畜をひそかに略奪しようとして逆に殺害される事件が起こり、テムジンとジャムカは完全に仲違いした。ジャムカはタイチウト氏と同盟し、キヤト氏を糾合したテムジンとバルジュトの平原で会戦した。十三翼の戦いと呼ばれるこの戦いでどちらが勝利したかは史料によって食い違うが、キヤト氏と同盟してテムジンに味方した氏族の捕虜が戦闘の後に釜茹でにされて処刑されたとする記録は一致しており、テムジンが敗北したとみられる。ジャムカはこの残酷な処刑によって人望を失い、敗れたテムジンのもとに投ずる部族が増える。
さらに、この戦いと同じ頃とされる1195年、ケレイト部で内紛が起こってトグリルが王位を追われ、その兄弟ジャガ・ガンボがテムジンのもとに亡命した。トグリルはケレイト王国を追われてからわずかな供回りとともにウイグルや西夏、西遼などを放浪したと伝えられるが、テムジンが強勢になっていると聞き及びこれを頼って合流してきた。テムジンとトグリルの両者は、トグリルがテムジンの父イェスゲイと盟友の関係にあったことにちなんでここで義父子の関係を結んで同盟し、テムジンの援軍を得てトグリルはケレイトの王位に復した。さらに両者はこの同盟から協力して中国の金に背いた高原東部の有力部族タタルを討った。この功績によりテムジンには金から「百人長」(ジャウト・クリ Ja'ud Quri)の称号が与えられ、はっきりとした年代のわかる歴史記録に初めて登場するようになる。また、同時にトグリルには「王」の称号が与えられ、オン・カンと称するにようなったが、このことから当時のオン・カンとテムジンの間に大きな身分の格差があり、テムジンはオン・カンに対しては従属に近いかたちで同盟していたことが分かる。
『ウィキペディア(Wikipedia)』引用
チンギス・カンと諸部族の統一について興味を持ちました。
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